2015年8月23日日曜日

2015/08/22 初二の瀬越のはずが、結局自噴水巡り

冬の間に検討してルートラボに作っておいたものがたまっているので、こつこつ消化すべく「二の瀬越周回」に出かけました。
が、天候が望ましくなく山は断念して、結局大垣自噴水めぐりになってしまいました。






知多半島より西、琵琶湖とか伊勢とかに向かう個人的定番ルートと化した東海通で佐古木まで出て、そのまま直進してまずは立田大橋に向かいます。
道の駅「立田ふれあいの里」周辺はこの様に蓮田になっています。特徴的な風景といえるでしょうか。



今回のルートは東海大橋から養老方面へ向かいますので、残念ながら背割提は使えません。
そこで新規ルート開拓の一環として、木曽川左岸を走ってみました。
車止めか数箇所あり、車両が入ってくる箇所も少しありますが、通行量はほとんどなくストレスなく走れます。


それよりも対岸に見えるべき養老山系が、この通りすっぽり雲の中ってのが気になりますね。


ルート的には北上して養老山系裏の谷筋へ回るので、そのときまでには晴れていればいいな、と思いつつ東海大橋を渡ります。
しばらく 愛知・岐阜<8>津島南濃線 を進み福岡大橋を渡ります。

ここからは津屋川沿いをのんびりと北上。堤防上の道は狭く曲がりくねっていますが、車がほとんど通らない良い道ですね。最初のとっかかりがわかりにくく、揖斐川に行ってしまいましたが、まあ結果オーライ。
しかしながらしばらくすると雨に降られてしまいました。これはいけません。
川筋がたどれなくなった地点の傍らには「源氏橋」という、なにやらいわくありげな橋が架かっています。

この袂で雨宿りがてら少し考え、二の瀬越は取りやめてこの先の広瀬橋までのルート探索後は垂井に降りることにしました。いや登るのか?

「石畑」の交差点からは 岐阜<56>南濃関ヶ原線 の山側にある古い街道と農道をつないで広瀬橋へ向かいます。
なかなか良い雰囲気の道でのんびり走れます。


広瀬橋に出ましたので、渡って右折し垂井方面へ。


岐阜<227>牧田室原線 で牧田川沿いを下っていきますが、東名高速をくぐるポイントを間違えたらしく、養老SAの下に潜って反対側へでました。
この時点では大垣か関ヶ原かちょっと迷っていたので、とりあえず北上することにして 岐阜<215>養老垂井線 を進みます。ちょうどおなかがすいてきたので、ミニストップ垂井町店にて休憩。

休憩中に大垣の公式HPを覗いていたら、近辺に自噴水を確認できたので自噴水巡りに決定。
西へ向かって適当に道を選んで進み、「弘法大師の井戸広場」に到着。


よくある弘法大師が錫杖突いたら水が沸いた伝説の井戸です。なるほど中ほどにあるパイプが錫杖ってことか(違う)

この集落内の民家は敷地内に湧水があるらしく、塀の向こうからパイプが出ていて、道側のパイプの下に盥がおいてある、ちょっと不思議な光景が随所で見られます。弘法さん、この近辺でやたらめったら突き刺したらしい(^^;;
※写真撮り忘れたので今度撮ってこようと思います。

弘法の井戸から美濃赤坂経由で次の自噴水にむかうべく適当に北上すると「矢道ハリヨの池広場」の近辺にでました。ここから東海道線の下り迂回線をまたいで北上を続けますと、唐突に古墳に行き当たりました。



昼飯大塚古墳といって東海地方随一の規模を誇るそうです。なるほど、確かに結構な大きさであります。

古墳から東に行くと美濃赤坂駅。
これでもれっきとした東海道本線の駅なのです。エヘン。


中仙道赤坂宿であり古い建物が随所にあります。これは矢橋家住宅だったかな?

杭瀬川と揖斐川をつないでおそらくは桑名方面と水運があったのでしょう。栄華をしのぶ湊の跡がありました。



さて。
赤坂から旧中仙道沿いを東に進むと北方町2の交差点の北、田んぼの中に「北方がま公園」があります。このあたりでは古くからこのような感じで田んぼの中に清水が湧いており、それを「がま」というそうです。がま=蒲ではなく河間と書くそうです。

透明度はこの通り芳しくなく水場もありません(おそらく飲用不可なんでしょう)。代わりといってはなんですが鯉が数尾泳いでいました。


琵琶湖・大垣界隈といえば「ハリヨ」という魚の南限なんですが、この「がま」から南に行くとハリヨに会えそう。ということで「西之川ハリヨの池広場」に向かったのですが、発見できず。

しかしながら西之川にはもう一箇所自噴水があるのでそちらへ向かいました。
大垣女子短大にある「みずきの森水」です。

手水鉢というには微妙な水盆と、一般的な水船、そしてパイプ(笑)が並んでいます。要するに手と顔を洗ったのち、水を汲んでのみ、頭からかぶって仕上げる、ということのようで、至れりつくせり(違う)

東海道線の北側にいますので、加賀野八幡神社の自噴水に言ってみましたが、先日とは違い混雑していましたのでそのまま通過、流れで三城公園の自噴水へ。ここなら空いていてのんびりできますね(^^)


顔を洗った後、ボトルの水を詰め替えて帰路へ着きます。
岐阜<18>大垣一宮線 の大垣大橋で、まずは安八へ渡ります。

交通量多く、ぱっと見路肩に余裕がない様子、下流側に歩道がありましたのでそちらへ。



ちなみに渡った先の安八町にも湧水がありますので立ち寄りました。
安八町役場の隣にあるハートピア安八という施設の前が親水公園のようになっていて、その一角に「幸せの泉」なる大袈裟な名前の自噴井があります。


駐車場のすぐそばなので水汲み客が入れ替わり立ち代り大勢訪れるのですが、幸い水量が豊富で待ち時間はほとんどありません。
それよりも親水公園風の池にはハリヨとおぼしき魚が!!


写真には写っていないかもしれませんので、是非現地で(^^;;
それにしても水の透明度がおかしなレベルですね...

安八町役場からは適当に道をつないでクレール平田へ向かいます。
途中で養老山系を見やると、あれまぁスッキリと晴れちゃってますね。この分だと二の瀬越に行けたかも(^^;;



クレール平田からでちょっと補給して背割提に向かうため南濃大橋を渡ります。
前回、この橋の周辺で気になる看板を見つけましたので、ちょっと探索してみました。
集落の中にはこじんまりしたバスターミナルがありました。

「大須」のバス停です。そして看板には「大須観音」とあります。ますますもって興味が出てきました。

隣の路地の奥に目的の地点はありました。北野山 宝生院 真福寺です。


どうも徳川家康がここの宝生院を名古屋の大須に移したということで、ここが大須観音の故郷なんだそうです。「大須」という地名もそのときに移したそうですので、なんというか不思議な謂れの集落のようです。寺宝のひとつとして古事記(真福寺本)があったそうですが、それもひっくるめてやっぱり名古屋の大須に移しちゃったそうで、その後は衰退。なんだか寂しいのでした。

境内には円空仏(多分模造品)があったりしてなかなか面白いです。



どうやら美濃にも四国霊場巡りがあるようです。



南濃大橋から長良川を堤防沿いに少し南下すると背割提への入り口です。


今回はのんびり下っていくことにしました。
まず、途中には愛知県の標識があります。なぜか岐阜県の標識はないので、下らないと県境に気がつかない、ということになります。下らない知識がまたひとつ増えました(^^;;


ちょっと下っていくと治水方式の説明書があります。

(超要約)オランダの技師が堤防と直角に杭を打つ方法を伝授したらしく、これをケレップというそうな。

で、このあたりがケレップなんでしょうか?



背割提は思ったよりも狭い堤防で木曽川と長良川を仕切っているのですが、その様子が伝わるようにパノラマ撮影してみました。上流に向いて撮りましたので、右が長良川・左が木曽川。


背割提を抜けた跡は立田大橋を渡り佐古木から東海通りで帰宅。


今回は192kmと頑張りましたが、やはりまだまだ復調せず。
このあたりから脚が回るようでないといけません...


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